平成24年1月1日記
あけましておめでとうございます。
今年は辰年、龍のようなヒーローが現れて、さまざまの社会的問題をパッと解決してくれないかなあ、などとバカなことを考えてしまいました。
ところで、龍という漢字ですが、「竜」は常用漢字で新字体、「龍」が正字体(旧字体・本字体)だから、「龍」が古い字体でオリジナルなのだと思い込んでおりましたが、どうもそうでもなさそうなのです。
大漢和辞典に「竜」は「龍の古字」とあり、インターネット上の百科事典ウィキペディアには「甲骨文字から使われている」とありました。
甲骨文字とは、亀の甲羅や牛の肩胛骨に彫られたものです。紙の上に筆で書くのとは違い、複雑な形を表すのは当然難しく、案外単純な形だったのだろうと思います。
新字体は複雑な旧字体を簡単にしたものですから、それしか知らない私たちは古い字体=複雑、新しい字体=簡単と思い込んでいるようです。
甲骨文字という実物が残っていて、単純に判断できると思われるものでも微妙な問題があります。まして、そのとき限りのできごとの実際を知ることは絶望的です。
すると、新聞やテレビ、インターネットなどで知った情報の真偽を判断することは不可能ということになり、自分が実際に体験したこと以外は判断できないということになります。いや、それさえも特定の方向・立場からしか知り得ていないわけで、全容を判断することはできないというところまでいってしまいます。
まさに「藪の中」であり、「戯論(けろん)」です。
龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ、150〜250頃)は、大乗仏教思想の大成者で、彼以後の仏教はすべて彼の影響下にあるという意味で、八宗の祖ともよばれています。
龍樹はこう言っています。
業と煩悩とが滅びるから、解脱がある。業と煩悩とは、分別、思考から起こる。それらの分別、思考は戯論(けろん)から起こる。しかし戯論は空(くう)において滅する。(『中論』一八・五)
「戯論」とはことばの虚構性のことです。日常生活では、ことばによって分別し考え、行動し、過大な欲望を抱き、結果として苦しんでいます。乱暴な言い方をすれば、考え過ぎなんですね。
悩みも苦しみも本来は空、実体のないものです。それを戯論によっていじくるので、逃れようのないもの、消し去ることのできないこと、と勘違いしてしまうのです。
たんたんと一日一日を過ごしていくのが今年の目標です。本年もよろしくお願いいたします。